フローレンス・ピュー (出演), ジャック・レイナー (出演), アリ・アスター (監督) いろいろな要素が邪魔をしてなかなか鑑賞に至らなかった作品。 パッケージの主人公が吉田栄作に見えてしょうがないことも理由の一つ。 いわゆる『狂人村』ものなのだが、
『ウィッカーマン』をアレハンドロ・ホドロフスキーが撮ったような作品。
スウェーデンの美しい風景の中、狂気の風習が主人公グループを翻弄する。 これ絶賛している人には申し訳ないが駄作だと思う。 不条理な映像を美しく撮り、断片的に重ねていくという方法はホドロフスキーが既に1970年に『エルトポ』でやってるし 理不尽な生贄ものという点では『ウィッカーマン』が1973年にやっている。 また狂人村まで広げるといくつあるか把握しきれない。 映像もホドロフスキーほど攻撃的ではない。 そこに21世紀になり新作として発表されたのがこれである。 映画界の『ビョーク』のような立ち位置を感じどうも好きになれない。難解な芸術性を売りにしているにも関わらず 村人への演技のつけ方を筆頭にいろいろな点で雑なのだ。 村人の動きはゾンビの端役の演技と変わらない。 現実はそういうものだとの意見もあると思うが。 現実を拒絶しているからこそ成立している世界観が崩壊するのだ。 クロスしたテーブルに整列して食事をとるといった整然とした映像の表現と 村人の自由な演技は相容れない。 予告編を見るとその作品の見せ場がよく分かるが 例の公開セックスのシーンに出てくる唇の腫れあがった女が横たわる場面でカットアウトする。 異様な映像なのは理解できるが、結局、見せたいはそこなのかと思ってしまう。 これが70年代のカルト作品であれば通用したかもしれない。 それとも一回転してこの類の作品のムーブメントでもおきているのだろうか。 メイクイーンに輝いたヒロインの顔が吉田栄作なのが受け付けない理由か 三時間の長尺に再度耐えたら書き直してみよう。 2019年作品
yakiimo